イジメとハラスメントから自分を守る:武道が教えてくれる強さ

学び

武道は平和主義者にとって不必要なのか?
平和主義者?
高校時代の空手部だった頃から、30年も前から、
色々な方とお話ししているとたまに
「格闘技、私は平和主義者だから、必要ない関係ない」って方、いらっしゃいます。
別に誘ってないし、、、格闘技じゃなくて武道だし、好きにすれば良いじゃんって思います。

武道や武術、格闘技をやっているからって、平和主義者じゃないと思っているの?
偏見じゃないの?

武道は争いを解決する手段なのか?
平和主義者だからって、襲われないの?
平和主義者の身の回りには、トラブルは来ないの?って思います。
平和主義者で、本当に襲撃やトラブルない方は超幸運です!

争いに参加しないのは、良いと事だと思います。
争いに参加しないことで、物事が快方に向かえばです。

問題を寝かしているだけで、解決になっていないこともあります。
そういう場合、未病と同じで、少しずつ腐り続け、
ある時、とんでもない大病や大変な事態になっていることがあります。

武道の稽古は心身を鍛える
不運は、望まないのに、いきなり向こうからやって来ます。
自分がどんな状態の時でも、不意に襲ってくるものです。ネガティブって。

それを対応できるように日頃から、心身を鍛えておく。
それが武道だとも思っております。

わたしは9歳で事故に遭い身体障がい者になり、小中学校の頃、酷いイジメも経験しました。
わたしは望んでないし、願ってもいない。でも、そういうものです。

だから稽古しています。そういうものが、こびり付かないように。
未然に防げるように。

高校に入り、腕相撲が当時、うちの学年360人中、わたし8位でした。
バカな高校だったので、そういうことを休み時間に競う学校でした。
元々、気持ちのいい突き抜けたバカしかいなかったので、
心が素直でイジメもなかったのですが、チカラ自慢?な、だけで一目置かれることに驚きました。

頭や体、力が弱かったりするだけで、イジメの対象になることが驚きでした。
いろんな思い出ありますが、体育祭のクラス対抗の綱引きで、うちのC組とI組が決勝に。
力自慢が両クラス多かったです。よーいドン!で引いた綱が、「ドンッ!」と鳴って、切れました!綱引きの、あの太い綱って、切れるんだ!と思いました。

大人になってからは滅多に、そういうことはなくなりました。
みなさん分別がつくので当然と言えば当然ですね。

だがしかし、大人になったらハラスメントの問題があります。
わたしは、それらの問題も見過ごせないので、戦っています。

ハラスメントも、誰かに相談することから解決の糸口になると思います。
一人で抱え込まずに。

ですので、持論ですが、色々なチカラがないと何もできない!自分も相手も守れない!
と感じ、武道の稽古に励んでおります。武道の稽古は心身を鍛えるのに最適です。
身だけを鍛える方が多いですが、心も自分で考えて鍛えなきゃダメです。

ブルース・リー先生などの言葉から学ぶ
ブルース・リー先生は言いました。
「腕っ節が強いからって威張っちゃいけない」
「特定のコミュニティ(組織や会社など)の中で、できるからって、偉いからって、
威張っちゃいけない。そのコミュニティは、世界じゃないし、宇宙でもない。
小さな器の中だ。謙虚に感謝して。」
「いつも笑顔で、人々に愛されなさい」
「血のつながりだけが家族じゃない」
「調和と中庸を保ちなさい」などなど。

これらだけ考えても、どういう人物像が、より良いのか?精神修行になると思います。

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